念ずれば

私の作る舞台には道具がたくさん必要で、公共の交通機関では運び切れない程の量になる。

だからハイエースに乗っている。

直接ハイエースとは会話をした事がないのだけれど、ナビ子さんとは常に会話をしながら目的地まで連れて行ってもらっている。

「100メートル先左折です」とナビ子さんに教えてもらったら「ハイ左折します」と即答する事にしている。

自分がナビ子さんだったら、せっかく教えてあげたのに無言でいられたら、ちゃんと聞こえたかな?とか、今日は機嫌が悪いのかな?と気になってしまい、自分の仕事に集中出来なくなってしまい、結果的にナビ子さんが目的地に連れて行ってくれ無くなるとおもうからだ。

いささか一方的なコミュニケーションではあるが、ナビ子さんを介してハイエースとは良好な関係を築いて来られたとおもっていた。

でもそれは私からの一方的なコミュニケーションでは無かったのだ。

今年起きたこんな事で、その確証が得られたのでお知らせする事にした。

今年、さいたま市で公演があった。

いつも通りハイエースで出掛けたのだが、助手席の下の方からカラカラカラっと異音がなり始め、停車後のセルスターターが心許ない回転音になってしまった。

それでもハイエースは、「お願い、掛かって!」と言ってキーを回すと、「キュ、キュ、キュルルルッ ブルーン」と始動してくれた。

おかげで一つも穴を開けずに舞台を務める事ができたのだが、最後の舞台が終わって道路に一時的に停車させて荷積みをしキーをまわすと「キュ、、キュ、、キュウ、」といって始動してくれなかった。

さいたま市のど真ん中で路駐でエンジンが掛からなければどんな事になるか、阿智村だったら3日間くらいは大丈夫なのだけれど、と愚にもつかないことが頭をよぎり、脂汗を垂らしながら「お願いっハイエース様ー」とキーを回すと

「ブルン」と車体が揺れてハイエースが息を吹き返してくれた。

冷や汗ものではあったが、とりあえずコインパーキングに駐車する事ができた。

一夜明けて帰宅の途に着こうとすると、やはりエンジンが掛からない。

その朝は「キュ、、」も何も無く、「カチ」と一回言っただけだった。

友人の俊ちゃんや、音響の金曽さんのおかげでブースターケーブルでバッテリージャンプしてエンジンを掛け、自宅に向かって走行開始、やはり持つべきものは友だと痛感した。

高速に乗ろうとすると、ETCの電源が落ちた。

久しぶりに通行券をもらって高速入口を通過した。

その後、ナビが消えて、エアコンが効かなくなり、車屋さんがある飯田インター下車する頃には、窓の開閉も出来なくなってしまっていた。

それでも「ハイエースちゃんお願い、車屋さんまで頑張って」と言い続けた私の気持ちがナビ子さんが居ないのにも関わらずハイエースに届いて、無事に帰ってくる事が出来たのだ。

オルタネーターという電気系統の根幹部が天寿を全うしたのが原因だったのだが、機械とも心が通じ合うのだと実感する出来事だった。

それと同列にして良いものかどうか怪しいが、思いのほか近そうな出来事が最近あった。

ちょっと振り返った瞬間にギックリ腰になってしまい、階段も昇れなくなってしまった。

強烈な脳内麻薬が分泌されているものと見えて、歩くのも困難なのに舞台の時は元気に動けるのだ。

それでも無理が祟ってスケジュールがひと段落した頃には、普通には歩けないほどギックリ腰が悪化してしまっていた。

その時点で10日後には鹿踊をする予定が入っていた。

10日あれば完治出来るとたかを括っていたのだが、1週間経っても痛みが残っていて、前にかがむ事が困難な状態が続いていた。

こんな事ではまともな踊りが出来るわけが無いと焦るのだけれど、腰の痛みは一向に引いてくれない。

前日のリハーサルも終わってしまい、ナビ子さんの「左折します」が「挫折します」に聞こえて来た夕暮れ時、温泉に入る事になった。

他にすることも無いので、とにかく身体を温めてストレッチをし「お願いっ明日は何とか動く身体になって」と祈った。

いつもはカラスの行水な私なのだが、 1時間弱入浴したのが良かったのか、それとも神楽の盛んな地域の温泉の霊験なのか、さっきまであった腰の張りと痛みが、少し軽くなったように感じられ、痛みの部位が腰全体から、腰の一部分に絞られているように感じた。

これは!とおもい、ひたすらその一部分を色々となポーズをとって伸ばしてみた。

もしかしたら大丈夫かも?希望が湧いて来た。

そして当日、本当に大丈夫だったのだ。

舞台をしていると、不思議な事は結構起こるのだけれども、今回の出来事も、念じたりおもったりする事が叶えてくれる力の強さをおもい知った出来事ではあった。

ハイエースはそろそろ50万キロ突入。

私はすでに50代の半ばである。

「お願いっ!まだまだ動いてねー」と色々なものに対して念ずるこの頃なのだ。

 
 
Akira Katogi