音舞語り『雪女』
再開したこのブログの締め切りは、毎月晦日なのだが、二月は27日に飯田市人形劇場で、いいだ音楽鑑賞会の例会があり、このところの、何をするにもオンラインばかりの状況に、少々辟易していたことと、手仕事の実感に飢えていた私は、舞台で雪を降らせることにしたため、来る日も来る日もその雪を切り出すのに忙殺されてしまい、ついに締め切りは、月をまたいで滑り込みアウトになってしまった。
信州の二月はまだまだ寒く、氷も張るし、雪も舞う。
それに『雪女』は、誰しも聞いたことのある物語だと思い、今回の公演の音舞語りに選んだ。
音舞語りというのは、和力公演で上演される舞台様式で、音楽と、舞踊、語りで構成されている。
演目の説明などをする通常の司会ではない、語りや登場人物の独白が、音楽や舞踊の背景や心情をより強く、また、明確に伝えるうえで、重要な役割を担うのだが、その台詞や語りの台本が、いつもギリギリにならないと仕上がってこない。
30分間の作品で語りの占める時間は、全体のおよそ3分の1にあたる10分間はある。
8~10ページの言葉を覚えなければならず、少なく見積もっても、2週間前には必要なのだが、それが、三日前になっても上がっていないという体たらくでは、しっかり読み込んで、一言一言を、わが骨肉として言葉にすることができないし、第一お客様に対して失礼だと思う。
それに比して、音楽は、俊ちゃん(木村俊介さん)が付けてくれるので、いつも完璧で、お客様も、俊ちゃんの音世界に引き込まれ、俊ちゃんの紡ぐ笛や三味線の音色に優しく包まれて、気持ちよく酔いしれる。
雲泥の差、という言葉はこのような時にこそ使うべきだろう。
音楽は完璧に仕上がって、一切の無駄もないように吟味され、本番に向けてさらに練りこまれていく。台本は影も形もない。月とスッポンでもしっくりくる。
舞踊は、私が芸能の中から場面に合うものを選定して、動きや速度を調整し、道具や衣装を製作したり加工する。
音舞語りは、そんなつもりはなかったのだが、出来上がる順番を暗示した名前になっていた。
音~舞~語りの語順通り、音楽が仕上がり、舞踊が整って、語りがつく。
その語りの部分の台本が、開けても暮れてもなしのつぶてでは、セリフを覚えようにも何も、取り付く島もないではないか。
私は、心の中に、焦燥と、軽い怒りを内包したまま前日のリハーサル前日を迎えた。
日付が変わって、ようやく台本の形を目の当たりに出来たので、リハーサルまで、仕込みやサウンドチェックの間中、台本と首っ引きで、台詞を繰り返し唱え続けた。
本番前日のことは、何をどうしていたのかも思い出せないが、取り憑かれたように台本をめくり、朝までに何とか台詞は入った。
舞台にハラハラと雪も降り、音楽/木村俊介の音舞語りが終わった。
追記、脚本/加藤木朗